ミニマリストになりたいmikochan

絶賛断捨離中のゆるミニマリストのブログです。(目指せ8割捨て、今6割5分かな)

私がミニマリズムを好きな理由〜引き算の美学〜

こんにちは、mikochanです。

徒然に、私がミニマリズムを好きになりハマった理由を書きたいと思います。

(ちょっと長くなっちゃいました。。。ふふふ)

 

突然ですが、ミニマリズムには引き算の美学があると私は思っています。

それまでは、なんでも新しいことに挑戦したり、前に進んだりすることを良しとする

世間の風潮に迎合していて、私自身も今に何かを「追加」して「積み重ねていく」ことが

重要なことなんだと、日々色々と努力して勉強して、新しく始めて。

でもあるところで、限界ってくるんです。息ができなくなるみたいに。

歳のせいもあるんだと思います。

30代に突入した辺りから、仕事も拘束時間が長くキツくなり忙しい中、

自己研鑽という名の習い事や勉強をして、その合間や休日には運動を。。。

と色々頑張っていたと思います。

無意識に周囲の「あるべき」の圧力に感化されて。

 

ここで何が良くなかったかって、私は追加する積み重ねることばかりで、

物事や取組みを適切に手放す習慣を持っていなかったことです。

それは自分がありたい姿を元に、優先順位をつけて戦力外の物事・取組みを

辞めたり捨てたり、さよならすることを知らずにずっと来ていました。

 

いうならば、人生や生活における山下さん提唱の断捨離ができていなくて、

私の生活(人生)の状況は、ゴミや物で溢れかえる汚部屋かの如く混沌としていたのです。

 

その真理がわかっていないから、

頑張っているはずなのに、なんで満たされないし幸せではないんだろう。

あれも持ってる、これも経験した。努力を続けている。

なのに何故なんだろう???ってずっと疑問に思っていました。

だから、自分で今の自分は十分幸せな状況じゃないの?そのはずだよって

言い聞かせながら、だけどやっぱり満たされてないから、

まだ積み上げれば、もしかしたらその先に明るい未来、光明を見出せるんでは?

なんてずーっと足し算まみれの人生を過ごしてきました。

 

生きる上で考えておかなければいけない重要なこと。

「いらないものを引き算して、第一軍にだけ囲まれて生きていること。

そのために優先順位をつけること。」

 

それを私はどこでも学んでこなかったようなのです。

「私は何が1番好きで、何が第1軍として大事なのか。何が私の人生を豊かにするのか。」

そのために必要な方法を全く分かっていなかった。

 

人間生きていれば、色んなものを所有し色んな経験をして、色んな習慣を持つ。

やり始めてみたけど、所有してみたけど、やっぱり合わない、いらないという

不要なものを捨て去り、なるべく一軍にのみ自分の人生の時間を割くことは重要なのです。

 

大切にだけ囲まれているため必要な方法が全然分かってなかった。

そして、私はミニマリズムを理解して、引き算の美学に出逢うことで、

どんどんと今までにない爽快感、充足感を実感することができたのです。

 

詰め込み積み上げ生活では、やってもやっても満たされない気持ちがあって、

やってもやっても満たされない。前に進んでいるはずなのに苦しくなる。

そんな不思議な状況で、ミニマリズムが糸口となり少しずつ解放されていく感覚に

感動したことは、今でも覚えています。

私がずーっと欲しかったものってこれだって思いました。

 

これって私の状況を表現しているのか?と思ったフレーズがあり、少し紹介します。

とあるミニマリストの本タイトルで

 

「ぼくらにモノはもういらない」(著:佐々木典士さん)

 

これ、ミニマリズムの感覚ないと結構なパワーワードだと思うのですが、

今では結構しっくりくるものなのです。

ミニマリズムを知れば知るほど、後から後から、そうだよな

という納得感が強くなっていくフレーズでした。

 

そして、ちゃっかり、令和に生きるゆとり世代なアラサー女も例に漏れず、

物質的な豊かさはもういらないと思うのです。

生まれた時から基本的人権にある、最低限度の生活は、ほぼ誰でも手に入れている。

蛇口から飲める水が出て、電気ガスで冷暖房あり、水洗トイレがある。

数百円払えばお腹いっぱいになれて、100均でなんでも手に入る。

衛生面と治安が維持された社会&生活環境。

 

私たち現代人てめーっちゃ満たされているのです。普通に息して生活しているだけでも。

ただのフツー、いやフツー以下の人でも、大抵、本当の意味で人間が生きるのに必要な

最低限の生活は、よゆーでクリアしている。

なので、そうすると必然的になくてもいいモノ、こと、経験で

自分の人生満たされてるか溢れかえっているか。

日々生きるだけで、選択肢がいくらでもある。

勝手にどうでもいいことも、習慣に組み入れてやることリストに増えてたりする。

余暇の過ごし方、暇の潰し方、人付き合い、生活スタイル、仕事のスタイル、家族構成。

私たちは現代人として生きるだけで、超多種多様な選択肢の中で、限りあるお金と時間を

どこに振り向けるのかの選択を毎日迫られながら、生きている状況にあるのです。

 

でも、そんなこと私は最近まで全然認識できていなかったと思います。

自分の置かれている状況って、十分満たされていて幸せと言えるよ。

なんて誰も言ってくれない。

私自身も麻痺して、一度手に入れてしまえば至極当然のような錯覚を起こして、

また次の何かを得たり経験「しなければいけないんだ」と世間の風潮を迎合して

思い込んでいたかなと思います。

 

でも、そうではない。

私たちは意識しないと、つい新しいことに目移りしたり、

自己研鑽なんて言って新しいことに取り組まされる仕組みに放り込まれ流されていく。

ならば、今までしてきたけど重要じゃないこと、惰性で続けていることを

今を楽しむため、辞める、捨てる、手放さないといけないんだと思います。

 

何でもかんでもかき集めて積み重ねる考えばかりでなくていい。

何か一極集中で過ごしてもいいし、極限られた少数精鋭の一軍の持ち物だけに囲まれて

スッキリ豊かに幸せに暮らすのだってありなのだ。

 

だから、私たちはモノも経験も人生に費やす時間でさえも、

何を優先するか考え、すでに所有しているトキメカない、不要な

モノ、こと、経験、習慣から離れることで、

如何に「最優先」に対して厚く資源を費やすかが、結構重要なのではないだろうか。

それを考えないまま、世間の新しいことに挑戦するや成長を続けるを鵜呑みにして進むと

どこかで溺れてしまうのです。

 

自分が人生で優先したいこと。

家の中の生活時間なのか、仕事をしている時間なのか、

休日に趣味をして余暇を楽しむ時間なのか、家族や大切な人と過ごす時間なのか。。。

 

私はちゃんと分かっていなくて、何でもかんでも詰め込んで、

世間でいいと言われることをやっていれば自分は満たされ幸せになれるものなんだ

となんの根拠もなく思ってしまっていた節があります。

(これは今振り返るとであり、その時は考えらしい考えにはなっていなかったと思う。)

 

だからこそ、ふとしたきっかけで知ったミニマリズムが引き算の美学を教えてくれたことに

とても感謝しています。

なんか、忙しい、疲れた、息苦しい(生き苦しい)と思うのであれば、

それ、なんでやってるんだっけ?

それ、本当に私の生活に必要なんだっけ?

それ、やらないとどうなるんだっけ?

本当にありたい状態、姿のために必要なモノ、こと、経験、習慣にだけ囲まれた

ごきげんな人生を過ごせていますか?と自問自答することから始めてみては如何でしょうか?

大概のことなんで、なくても、やらなくても大丈夫です。

そして、引き算の美学に魅了されてみて欲しいなと思います。

 

mikochanでした。

今回はとっても長くなってしまいました。。。